商品への想い

Pride

創業当時の小伝馬町付近には、問屋・着物屋・茶屋・金具屋などが多く存在し、地方にも染色や刺繍の専門工場がありましたが、今はその数は多くありません。そのような中でも東染はこだわりを持って製造卸を行なっています。

初代と二代目
違う時代の中で

生地屋や染屋や縫製屋が次々なくなっていく中で、二代目の森野嘉一(現社長)は「何インチで送り、どんな柄で交わす」「大きさや染め方がこうする」「正方形でやるのかステップでやるのか」などを独学で学び、資料以外にも自分で探した染屋などに図案を持って行き「これはどうやってやるのか」などを教えてもらうこともありました。

「こういうモノ・風に作って欲しい」と思っても1箇所では難しい中、そのような様々な業者との繋がりを大切にし、商品に反映しています。

理屈ではなく
感性がないとできない

当時の同業者は各地に数社ありましたが、二代目に移行すると共になくなってしまいました。初代の柄をリピートすることはできましたが、新たな商品の製造が難しかったからです。

東染は、独学の二代目と初代とが職人としてそれぞれのやり方で成り立っているため、別業界の業者とも交流を持ち新しい商品開発をしたり、仕入れ商品にオリジナル要素を加えるなど、ゼロから新しいモノを作ることができています。

国や文化で違うことを把握して
細部までこだわる

例えば、中国の赤とドイツの赤と日本の赤は違います。なぜその赤が使われているのか理由があるので、そのことを理解しなければなりません。他にも「アメリカでは着物はシルクよりもポリエステルが選ばれ、その理由が洗濯できるから」といったことや「鉄瓶は黒や白の質の良いものが好まれている」などがあります。

各国の状況を把握をするのは大変ですが、現地の声を聞いたり、販売されている現場を視察したりと試行錯誤を行なっています。

あの有名人たちも
東染ブランドを着ていました

有名人が着ていたものがどこの製造なのかはあまり知られていませんが、1980年代にプロレスラーとして活躍していたハルクホーガン氏が着ていた「一番」と書かれたTシャツは東染が最初の製造元で、「一番」の文字が左右対称になるようにデザインされています。
また、ビートルズが初来日した際に着ていた法被も東染が製造元であるそうです(初代談)。